外秩父の三回目として、白石車庫バス停〜白石峠〜定峰峠〜大霧山〜粥新田峠〜二本木峠〜打出バス停を歩いた。
前回同様、赤いラインは「外秩父七峰縦走ハイキング大会」の正規コース。
青いラインは大会のコースではないが、バス停への指導標が完備している。


打出バス停から白石車庫バス停までバスで移動。
バスには中年ハイカーが8人いたが、全員皆谷で降りて行った。
馬頭観音の古い石碑と説明板。馬の慰霊碑だな。
ここの湧水はとても旨い。
バス停から白石峠まで登りなのに、前回の下りと比べて半分くらいに感じた。最初の道は緊張するので長く感じるようだ。
白石峠から見た堂平山の天文台と、右は大霧山に向かう階段。
階段は175段で平坦な巻き道になる。北側斜面には雪が残っていた。
右はアナグマの説明板。いっぱいいたので捕まえようと思ったがやめた。
定峰峠にはバイクがやかましい。
右は懐かしいCB750Four。久しぶりで見た。
40年前のバイクだが近頃の薄っぺらなのと比べると風格がある。立派なもんだ。
獅子岩と、右はダイダラボッチの伝説。
笠を置いたのが笠山で、粥を煮たのが粥新田(にた)峠で、箸を立てたのが二本木峠で、釜を伏せたのが釜伏山だとさ。
旧定峰峠の道標と、祠。
有刺鉄線は牧場の敷地の始まり。有刺鉄線内から見た笠山〜堂平山〜剣が峰。
難なく大霧山の頂上。過去に見た山頂風景の中で最高に近い雄大な風景だ。
ここを急いで通り過ぎるのは、松阪牛を早食いするようなものだな。
両神山の左に八ヶ岳の赤岳と横岳、浅間山の左に御荷鉾山と城峰山が見える。
粥新田峠の粥新田地蔵尊。いい顔してるな。
高原牧場の羊。
二本木峠から打出バス停に降りる。指導標に従えば最短距離で降りることができる。
尾根から見えた打出集落と、右は槻川に架かる板橋。
歩行距離:16.6km
体力度:中
読図度:低
復旧作業に参加するため、はやく引っ越して寝るところを確保したいのだが。
常磐線で通っている人も出社できないし。
尾根筋では、花粉は気になりませんでした。
一度歩いておくと、不思議なことに負担が半減するようです。なので、厳しい笠山〜大霧山を歩いておくのは有効です。打出の、登谷山歩きで停めたところに停めておいて、打出→皆谷まで県道を歩いて、皆谷→笠山→二本木峠→打出を回るのが効率的かと。
粥新田峠以降は舗装路です。本番ではそれ用の靴に履き替えるのが有効かも。山靴は重いので、粥新田峠で草むらに隠しておいて、後で拾いに来るのがいいかも。
大霧山はすばらしい眺め。急いで通り過ぎるのはもったいないです。
切断レンズの状況が気になる。。。
私は、あまり被害がなく、1日程度の復旧作業で勤務再開です。
ただ、計画停電の影響で朝3時起床や、昼からの勤務やらで生活のリズムが今一つです。
皆さんから比べたら微々たるものですが…。
明日からの復旧作業頑張ってください。
息子に主人公の名前をつけようとしましたが
字画がNGと却下されたことを思い出します。
今日から昼休みのフットサルを再開しましたが、
午後2時頃から目と鼻が大変。
友達からシャンプーを借りて、シャワー室で洗髪。
こんな状況なので、厳しい笠山〜大霧山を歩くのはもう少し先かと....。
桜の開花、妻の鼻詰まりが始まると(妻はヒノキアレルギーなので)、
後2週間で今年の花粉症とも卒業です。
外秩父七峰縦走ハイキングを主催する某鉄道会社が
企画している催しが中止になっています。
今年の外秩父七峰縦走ハイキングは中止が濃厚
ではと思っています。
中止でも、歩くつもりですが...
外秩父七峰縦走ハイキングは行なわれるそうです。
出発地点、到着地点に義援金箱を置いて義援金の募集をするそうです。
●悲報
今日、昼間フットサル中にふくらはぎの筋肉を切ってしまった。痛い、歩けない。
執筆者様も以前筋肉を切りましたよね?
どのくらいで治りました、とういうよりどのくらいで登山できるようになりました?
あと23日、治るか不安。治っても到底完歩は無理か?
さっき、足を洗った後にふくらはぎをメジャーで図ってみた。
右42cm、左38.5cm。
切ったほうが3.5cm太くなっている。
10%増えたのは、何だろう?不安だ。
昨日一晩痛さで熟睡できず、おまけに
朝起きたら、膝から下がかなり腫れてびっくり。
念のため、病院へ行ったところ、ふくらはぎの筋肉が
断裂(相当ひどい肉離れ)、全治1から2ヶ月と診断されてきました。
登山は?と聞いたところ筋肉の年齢とリハビリ
次第らしいけど、3ヶ月くらい先になるらしいです。
なので、「外秩父七峰縦走ハイキング」は不参加が決定しました。
来週から松葉杖での通勤。
今は筋肉を固定して断裂が広がらないようコントロール
しながら炎症を抑えるらしいです。
足先の腫れは、むくみだそうです。
以上、報告です。
いったい、今年の夏山はどうなるのだろうか???
まあ、そのころ日本にいるかどうか分かりませんが...。