うだうだしていても仕方がないので、下の娘と山に登った。地図はこちら。
赤いラインは「外秩父七峰縦走ハイキング大会」の正規コース。
青いラインは戻り道で、大会のコースではない。


官ノ倉山登山口の分岐。
官ノ倉山の隣の石尊山。右は小川町方面の遠景。ずっと向こうが東京。
大会のコースは官ノ倉山には登らずに、巻いて降りるようになっている。
梅の花の安戸集落。右は大会コースとの分岐。ここから左に分かれて青いラインを元に戻った。
八幡社の大杉。
こんな田舎のガソリンスタンドにまで給油の列。右は山道の馬頭尊。
今年のハイキング大会の開催は微妙かも?
歩行距離:9.4km
体力度:低
読図度:低
体を動かさないと、気が滅入ってしょうがない。あしたも行くつもり。そういえば山には誰もいなかった。平日だもんな。
自宅待機の埋め合わせで、GWが削られるとか、土曜日出勤とかになるんだろうか。落ちた天井と電気配線を修理するのに相当時間がかかるだろうな。
一度停電すると、電気炉とかクリーンルームとかは再立ち上げがたいへんなはず。半導体メーカーはどうするのだろう?
bambiさまから書き込みがあると、コメントの画面が乱れるのはオーラのせい?
12-13日は近所家にて、6家族で助け合い寝食。
13日は救援物資調達の為、地元(群馬)入り。
地元友人による救援物資が、気付くと1boxカー1台分になり、昨日ひたちなかの自宅へ搬入。自宅近所、友人へ配給。(地元友人に感謝感謝…涙)
ひたちなか市、どこを見てもGSパニック。1時間並んで1000円分入れられれば幸運。物流麻痺。よって店での飲食物は散々…。水道復旧見通しつかず。水が足りない…。
道路を見れば常に自衛隊の車が走っている。
娘は地震の恐怖から、軽度のPTSD状態。
会社の心配する余裕なし。自分達の生活復旧に必死。
エスケープ先・ガソリンがある人は幸運だが、地元・自宅が被災地の人達は、逃避不可。
自分に何ができるか…。無力さを感じる…。
これが被災地の現状。
今の時間、3回/10分の余震あり…。
東北地方は津波、原子力で大変ですが、茨城は普通に6強の揺れの打撃を食らっています…。
先程、会社含め、自転車にて被害状況を自分の目で確認してきました。
会社は全て入門禁止の為、被害状態不明。
近くの2件の漫画喫茶は散々。特に手前のは壁が崩れ落ち、中が丸見え。再生不可能。
勝田駅は改札前(パン屋前)の天井が抜けて空が見える…。
隣の工場は損傷激しく、取り壊し決定だそうだ。
そして…おいら、地震酔いで気持ち悪い…おぇ〜。
そういえば…レンズは…地震の影響?
定盤上に載せてあった機材は、ネジで固定とかしていなかったのに、奇跡的にそのままでした。床に転げ落ちず整然と残っていたので、他の惨状と比べると逆に不思議な気がしました。
それがどうした、と云われると困りますが・・・
3/21まで自宅待機。勝田の水道が通じたら教えてください。
まさか、帰宅前に自由行動に出たな!!
流石です。
>3/21まで自宅待機。勝田の水道が通じたら教えてください。
了解です。
会社は、一体どこで仕事するんでしょうか…。
http://www.city.hitachinaka.ibaraki.jp/SKYU/index.html
水道が復旧しないで出社したとしても仕事は厳しい。
私も地震翌日は市内を自転車で散策しました。かなりの被害状況でした。ワングーの天井は落下してました。あそこみたいに…。あまりに周りすぎて自転車が壊れました…。
18:20〜22:00のはずが、19:03にブチッと切れて、21:06に復帰した。心構えがあるんだから、せめて19:00〜21:10とかの正時にしろよ。東電にはそんな気配りは無理か・・
安心しました。
私は当日、部署の人宅で一晩世話になって
土曜の夜に県南の自宅までわざわざ車で
送ってくれました。感謝しても、し足りません。
土曜はそのまま私の家に泊まってもらい、
翌朝、物資を買い付けながら
ひたちなかに帰るとのことでした。
現地のご家族もお体はご無事でした。
私はその後、幸運にも東京の実家に帰れたので、
今はこちらで大人しくしてます。
家の近所のGSは大混雑、コンビニ、スーパーも
棚ががら空き。ただ、こちらの場合は
オイルショックのときと同じで、
物資は十分あるのに、軽いパニック状態に陥り
意味の無い買い溜めをしているそうです。
被災地に物資を少しでも多く届けるためにも
控えるようにテレビで言ってましたね。
寒いですので、皆様お体には
十分ご留意ください。
復旧作業に駆り出されている献身的な人々は、どういう基準で選ばれたかご存じ?消防隊?