2009年12月13日

東海村散歩(09.12.13)

常磐線・東海駅が石神駅と云われていたころ、石神駅から村松虚空蔵尊まで村松軌道という鉄道が敷かれていた。

そのころの地図がわかったので、東海駅〜村松軌道跡〜虚空蔵尊〜原子力銀座〜久慈大橋〜日立電鉄跡〜大甕駅を歩いた。Google Earthで見るにはこちら
右は村松軌道の記載された昭和6年の地形図。
091213東海村.jpg 村松軌道.jpg

東海駅。周辺の雰囲気と不釣り合いなほどに近代的なのは作為的かも。
右は東海駅から見た村松軌道の駅跡方面。木立の屋敷が西武ライオンズの故・根本陸夫監督の生家で、ここに駅があったらしい。
Img_2333東海駅.jpg Img_2330駅跡.jpg

常磐線の村松開渠。村松軌道があったことを示す明瞭な痕跡。
右は東海村役場。三角点を探し回ったが、屋上設置では見つからないはずだ。
Img_2341村松開渠.jpg Img_2345東海村役場.jpg

村松三等三角点。明治33年の埋設なので、昭和6年の地形図にも出ている。
Img_2350三角点.jpg

馬力神や軍馬の供養塔。村松軌道はこの前を走っていたはず。
右は村松軌道の終着駅があったところ。桜並木になっていた。
Img_2358馬力神.jpg Img_2369駅跡.jpg

虚空蔵尊。参拝客のために鉄道を敷く程だから、昔は賑わったのだろう。
Img_2374虚空蔵尊.jpg

こま牛?
Img_2383牛.jpg Img_2384牛.jpg

大神宮。
右は村松晴嵐の碑。徳川斉昭の直筆。水戸八景の一つ。
Img_2391大神宮.jpg Img_2404村松晴嵐.jpg

村松晴嵐そばの、晴嵐四等三角点。
Img_2408三角点.jpg

無粋なフェンス。ここが神仏と原子力銀座との境界。
右は阿漕ヶ浦。浦というより池。重機が入っていたので埋め立てるのか。
Img_2412フェンス.jpg Img_2416阿漕ヶ浦.jpg

原子力科学館。
「自然界にはこんなに放射線があるよ、だからだいじょうぶ」みたいな論調が目立つ。そういう説明は当事者側の都合であって、「カラスの勝手」と云われる。一般人には不安が増すだけだ。
JCO臨界事故の沈殿槽が展示されていた。もちろん模型だろう。
Img_2421原子力科学館.jpg Img_2418原子力科学館.jpg Img_2427沈殿槽.jpg

原子力科学研究所と、いばらき量子ビーム研究センター。
Img_2431原子力科学研究所.jpg Img_2432電子ビーム.jpg

東京大学大学院工学系研究科原子力専攻。なんのこっちゃ。
右は日本原子力発電の入口。
Img_2436東大原子力専攻.jpg Img_2438原子力発電.jpg

久慈川の久慈大橋を渡る。立派な歩道が付いている。これより日立市。
河口に近く、橋の下まで海の波が遡ってくる。原子力でなくてほっとする。
右は河口側から見た久慈大橋。
Img_2447橋.jpg Img_2459久慈川.jpg

留四等三角点。
右は三角点そばの日立港。
Img_2460三角点.jpg Img_2466日立港.jpg

ボロボロの電車が捨てられていた。旧塗色の日立電鉄の車両だろう。
右は茂宮新橋から見たスーパーひたち。旧新の対比。
Img_2470廃電車.jpg Img_2477スーパーひたち.jpg

常磐線をくぐる日立電鉄の橋梁とトンネルは塞がれていた。
トンネルの反対側の踏切にはレールが残っていた。
Img_2486廃トンネル.jpg Img_2491廃線跡.jpg

久慈浜駅跡の広大な敷地は再開発中。
右にカーブして、この先で常磐線をまたぐ。歩けるのはそこまで。
Img_2505久慈浜駅跡.jpg Img_2512廃線跡.jpg

大甕駅。
Img_2526大甕駅.jpg

【歩行距離】
市毛〜勝田駅:3.1km
東海駅〜村松軌道跡〜虚空蔵尊〜原子力銀座〜日立電鉄跡〜大甕駅:18.5km
勝田駅〜市毛:3.3km

合計:24.9km


posted by 単身赴任 at 22:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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