地形図の水色は、9/9に歩いた妙義山です。


国道254号沿いのA地点、藤井の関所跡です。
この道は昔、下仁田道あるいは信州姫街道といわれていたそうです。

関所跡の横の道を入ると林道になります。
入ってまもなくのB地点の空きスペースに停めました。
ハンターが来て、「麓の方で猪と鹿の猟をするから」と言っていました。撃たれたらたいへん。
淡々と林道を登ります。体温が上がって体が山歩きモードに切り替わります。
C地点のY字分岐までは車で入れるようですが、その先の林道は荒れています。
林道はやがてガレになり、D地点の小滝に着きます。
小滝の右の岩を、トラロープにつかまってよじ登ります。少し危険。
小滝の上から、右写真のじじ岩ばば岩が見えてきました。


小滝から先はイバラの藪になります。夏、ここを越えるのはちょっと厳しそう。

E地点の鞍部に着きます。じじ岩ばば岩が形を変えて見えています。


鞍部から南に岩稜をたどります。間近に見える岩の上に出ました。
左がばば岩(G地点)、右がじじ岩(F地点)です。写真では小さく見えますが、実物はビックリです。


ばば岩の基部の拡大です。
何億年という悠久の時間の中で雨風に浸食されて残ったのでしょう。
地震にも耐え、ずっとこの形でいたのが奇跡のようです。

G地点から見えた、荒船山の遠景です。右端の断崖が艫岩です。

E地点の鞍部に戻り、H地点で御堂山への急登に取付きます。
I地点、御堂山の山頂です。御堂山三等三角点(878.34m)があります。
右は山頂から見えた、妙義山の遠景です。


H地点から高石峠に向かいます。
H地点では斜面をトラバースし、やがて尾根に出ます。薄い踏み跡がありました。
J地点では大量の倒木があり、越えるのに苦労しました。
K地点は踏み跡を行くと急斜面のトラバースになって危険です。ピークから尾根に乗るのが安全でしょう。
L地点で高石峠です。道標はありませんが、南へのはっきりした山道がありました。
高石峠から下る途中の山道です。杉の落ち葉が積もってふかふかしています。
大正時代までは妙義へ通じる往還だったのでしょうが、今では歩く人もなく荒れています。
大正時代って、母親の生まれた年代でそれほど昔ではないのですが。

M地点には古い祠が残っていました。
N地点で水が湧き出していました。進むにつれて水音が増し、沢らしくなっていきます。
O地点で舗装路に出てようやく下界です。P地点には水道施設がありました。
Q地点のT字路、今来た道です。写真左下に石の道標が見えています。
右の写真は石の道標の拡大です。
「向右 中之嶽ヲ経テ妙義町」と読めます。いま降りて来た山道を指しています。
裏面には、「大正十一年一月」と書かれていました。


本宿の町並みです。今でも宿場町の面影を残しています。




本宿の町中に残されていた、手押しの井戸です。今ではすっかり見なくなってしまいました。
これって、呼び水しないと水が上がってこないんです。懐かしい。

さまざまな時の流れを感じさせられる山歩きでした。
歩行距離:11.2km
歩行時間:6時間04分
出会った登山者:なし
出会ったハンター:3名、聞こえた銃声:1発